神明通りにある由緒ある神社。芦名氏が深く信仰し、保科氏は会津領四郡の拝所とするなど、歴代の領主も敬いました。
節分の豆まきや8月4日の祭礼は毎年行われ、神明通り全体が賑わいます。
祭 神
天照大御神(あまてらすおおみかみ) 通称:お伊勢さま
応神天皇(おうじんてんのう) 通称:八幡さま
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 通称:お稲荷さま
大国主命(おおくにぬしのかみ) 大国さま、大地を象徴する神格
秋葉大神(あきはのおおかみ) 火防、鎮火の神様
勧請年
応安二己酉年五月五日(1369年)
由 緒
神道流槍刀の術中興の祖、飯篠 家直(いいざさ いえなお)『飯篠長威斉家直』の崇敬の神にして長威斉六代の孫七郎太夫盛枝が御神体を奉じ当会津に来る時に芦名氏が深く信仰する事となり古川(会津若松市門田町)の辺りに祭り、盛枝を以て神職とし社領を与えた。代々の領主の信仰も厚くし、保科氏に至っては会津領四郡の拝所とした。
文久元辛酉年一月二十四日(1861年)名代を以て年々白銀を献上。同三年、諸殿不残造営(社殿などを建てる事)、慶応二丙寅年七月十九日(1866)遷座した(御神体を新殿に移動する事)。領主より幕及び灯燈を献上。
明治元年八月(1868年)、兵火により社殿を残らず焼失した為、同二年仮殿を造営する。同四年若松県管内人民の伊勢神宮の遙拝所(参拝所)とした。神明神社という名称は、旧号伊勢宮を明治四年(1871年)に神明神社と改称した。
昭和十九年十月(1944年)、若松市の都市計画街路事業道路新設工事施工の際に現在の場所に移転した。そして昭和三十年十一月(1956年)、長年要望があった神楽殿の造営となり日々参拝者も増えた。
昭和41年発行『神明通り開通20周年記念誌』より
所在地
福島県会津若松市中町1−46